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人生朝露

人生朝露

荘子の道と、仏性、良知。

というわけで、今日も荘子を。

さて、今日は、
Zhuangzi
『荘子』の知北遊篇にある、

東郭子問於荘子曰「所謂道、悪乎在。」荘子曰「無所不在。」東郭子曰「期而後可。」荘子曰「在螻蟻。」曰「何其下邪。」曰在悌稗。曰「何其愈下邪。」曰「在瓦甓。」曰「何其愈甚邪。」曰「在屎溺。」東郭子不應。(『荘子』知北遊第二十二)
→東郭子は荘子に「その偉大なる道(Tao)とやらはどこにあるのです?」と問うた。
荘子曰く「道(tao)の無い場所なんて無いよ。」
東郭子曰く「もう少し分かりやすいたとえはないかね?」
荘子曰く「アリやオケラにも道(tao)はあるよ。」
曰く「そんな下卑た生き物にもか?」
曰く「ノビエや稗(ひえ)にもあるよ。」
曰く「そんな粗末な物にもか?」
曰く「瓦にだってあるよ。」
曰く「もう落ちるところまで落ちているな。」
曰く「大便や小便にもあるよ」
東郭子は呆れて言葉を失った。

・・この文章について。「道(tao)」とは何か?ということについては前回、

Master Yoda。
Yoda:"For my ally is the Force. And a powerful ally it is. Life creates it, makes it grow. The force surrounds us and binds us. Luminous beings are we not this crude matter. You must feel the Force around you. Here, between you, me, the tree, the rock...everywhere! Even between the land and the ship."
(ワシにはフォースがついておる。頼もしい味方じゃ。生命がそれを創り出し、育てる。そのエナジーが我々を包み込み、同時に繋いでくれておる。我々は偉大な存在・・・こんな粗末なもの(肉体)などではないぞ。自分を包んでいるフォースを感じるのじゃ。ここにも・・お主とワシの間にも・・木々にも・・あの岩にも・・あらゆる場所にじゃ!そう、そしてこの大地と戦闘機の間にもな。)

マスター・ヨーダも言っているという話をしましたが(すなわちForceとTao)、

参照:当ブログ 荘子と進化論 その22。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/200910110000

仏教における「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」すなわち、「生きとし生けるものの全てが仏である」という平安時代の最澄や空海が唱えた主張は、荘子が元ネタであるという可能性があるのではないか、と、考えています。本来、インドの思想の「衆生」というのに、草木が入ることはないんですが、中国にわたって「草木」も仲間入りしたんですよ。インドの仏教では人間に意識があると感じるのは当然として、動物にもある、とまでは明確にあるんですが、植物にまであると言い出したのは中国からです。殺生戒って植物は差別していましたので。つまり、菜食主義だからといって、命を大切にしているとはいえない。動物を殺さずとも、植物を殺して我々は生きている、というツッコミが中国で入ったんです。前述の荘子の言葉に、それを感じるんです。唐の時代には仏教文化だけでなく老荘思想も華やかでして、荘子の「万物斉同」の理論が仏教に取り入れられた可能性が高いと思います。日本では汎神論であったりアニミズムで解釈する向きが強すぎですが、荘子の方から考えるとはるかに近道です。

ちなみに、殺生戒というのは、確かに非常に立派な考えなんですが、弊害もありまして、「ミミズを殺してはならないから」という理由で僧侶が労働をしないという口実にもなっちゃうんです。これ、仏教国のチベットで奴隷制がひどかったことの原因だと思います。こういうのの反動としての禅宗という見方もできますね。戒が緩いというか、自律性に重きを置いたことが、「武士の仏教」としての禅宗の発展に見られると思います。

♪みみずだって、おけらだって、あめんぼだって~ みんなみんな生きているんだ友だちな~ん~~だ~~~♪

ミミズと、オケラの話ですね。

・・・さて、この草木にも「何か」があるという発想は、
王陽明。
王陽明(Wang Yangming  1472~1529)の『伝習録』にも登場します。

「人的良知、就是草木瓦石的良知。若草木瓦石無人的良知、不可以烏草木瓦石英。呈惟草木瓦石島然。 天地無人的良知、亦不可烏天地臭。蓋天地萬物、興人原是一體、其發竅之最精處、是人心一點靈明。」(『伝習録 下』より)
→人の「良知」は、すなわち草木や瓦や石の良知である。草木や瓦や石は、人間の良知がなければ、草木は草木と、瓦は瓦と、石は石とすることはできない。人の良知がなければ、天地もまた天地たりえない。すなわち、天地の万物は一体であり、それぞれのものと、一つの気によって通じている人の心の働きが、それを感じるのだ。

王陽明の場合は「良知」です。草木だけでなく、生物ですらない瓦まで入っているのは、荘子の影響を受けているからだとと見るほうが自然でしょう。『伝習録』には「草木の理」の話もありますが、これも『荘子』の知北遊篇にありますし。自分は荘子の「万物斉同」から、王陽明の「万物一体の仁」が生まれた、と考えているんです。荘子が禅(Zen)にもたらした影響が、今度は儒教(Confucianism)にも表れてくる・・時間差はあるものの、王陽明の「心即理」であったり、「致良知」「格物致知」といった発想は、儒教の中で生まれたと考えるよりも、荘子と儒教の融合による化学反応の結果と考える方が早いんです。

参照:Wikipedia 王陽明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E9%99%BD%E6%98%8E

・・・節操がないようですが、こういうことはアジアではよくあることです。

儒教と仏教と道教との三教の合一に関しては、この逸話が有名です。
三聖吸酸図。
お酢の壷を前にして、孔子と、釈迦と、老子が味比べをすることになった。

真面目な孔子は「このお酢はすっぱいな」と述べ、
人の苦しみを知っている釈迦は「このお酢はにがいな」と述べ、
楽天的な老子は「このお酢はあまいな」と述べた。

三聖吸酸というお話です。それぞれの個性を表しながら「道は一つ」なわけです。多分、荘子だったら、無言か、味はしないと答えるかな?

クリスマスの後に、除夜の鐘を聞いて、初詣をするどこぞの民族の精神性を考える上でも、大事なことだと思うんですよ。

・・さて、話はもどしまして、
いかにして世界を知覚、認識するのか?ありとあらゆる場所にある「何か」とは?

で、これは、手塚治虫も似たようなことをおっしゃってます。
osamu teduka
手塚治虫は、「宇宙生命(コスモゾーン)」という言い方をしています。この宇宙には「いのち」があふれていると考えたんです。

「宇宙生命(コスモゾーン)は 形も大きさも色も重さもなにもないのです。でも、ただとびまわっているだけではありません。この宇宙生命たちは物質に飛び込みます。するとその物質は はじめて生きてくるんです。銀河系宇宙のような大きなものから、惑星たち 地球も! 動物や植物、その細胞・・・分子も、原子も、素粒子も、みんな宇宙生命が入り込んで、生きているのですよ」(『火の鳥』未来編より)       

参照:Youtube 【伝記】 手塚治虫の生涯 MANGA MASTER Part.1
http://www.youtube.com/watch?v=oD6OBgIdiso

「命というものは、ほんのわずか、50年とか100年というのものではなくて、もっとスケールの大きなもの、宇宙的なものだと思うんです。そういう感じがしてきたので、僕は『火の鳥』を描いたんです。この漫画の主人公の「火の鳥」は永遠の生命を持っています。
火の鳥は言うんです。この宇宙には、いのちが全部あふれている。何もかも全部生命力を持っている。例えば星、太陽、あるいは地球・・生命力を持っている、みんな生きている。
そのようなことをこの火の鳥が言って、人間を励ますんです。人間だけではなく、生物も励ましているわけです。あらゆる生きているもの全部を励ましている。
僕は今まで本当に長い間漫画を書いてきたけど、生きるということを続けて描いてきたことの本当の本音はそういうことなんです。もう少し「いのち」とか「地球」ってものを大事にしてほしいなあと思います。」(手塚治虫 ラストメッセージより引用)

「火の鳥」の場合には、「気(qi or chi)」「Force」に近い解釈だと思うんです。

で、
モーフィアス。
『マトリックス』では、「赤いキャンディー」と「青いキャンディー」を選ばせた後に(笑)、モーフィアスがこう言います。

Morpheus: "The matrix is everywhere. It is all around us, even now in this very room. You can see it when you look out your window or when you turn on your television. You can feel it when you go to work, when you go to church, when you pay your taxes. It is the world that has been pulled over your eyes to blind you from the truth."
(マトリックスはわれわれの周囲にあらゆる場所に存在する。この部屋にも、お前が窓を開けて外の景色を見るときにも、お前がテレビをつけているときにも。仕事をしているときにも、教会でも、税金を納めるときにもな。マトリックスとは真実を隠すため、お前の目を覆っているものだ。)
Morpheus:" ...That you are a slave, Neo. Like everyone else you were born into bondage, born into a prison that you cannot smell or taste or touch. A prison for your mind. ... Unfortunately no one can be told what the matrix is. You have to see it for yourself."
(お前は奴隷なのだ。他の人間と同じようにおまえも生まれながらに束縛され、 臭いも味も感触もない牢獄に閉じ込められている。お前の精神の牢獄に。不幸なことに、他の人間は「マトリックス」という存在が何であるのかを説明することはできない。お前は自分自身でその全てを見なければならない。)

・・・世界をどう知覚し、どう認識するか?「Matrix」の解釈は、非常に禅の解釈に近いです。無為自然の対義語としての「マトリックス」、まさに荘子の世界です。

↓これとか、ほとんど、悟りの境地ですよ↓
http://www.megavideo.com/?v=LXDOS7BI

リボルバー。
彼らの場合には、"her"なんですかね・・・

参照:Here, There and Everywhere - The Beatles (with lyrics)
http://www.youtube.com/watch?v=8THouU576WY

今日はこの辺で。


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